2024.09.01特別対談:工事部レジェンド対談

写真左)施工管理課 課長
加藤 紀さん(経験年数35年)

写真右)工事部 部長
髙野 忠さん(経験年数37年)

——現在の職に就くまでの経緯をお聞かせください。

高野
19歳から兄が営む建築現場の手伝いをし、21歳で大型ダンプの資格を取得、25歳で解体重機の免許を取得、27歳で大型ダンプメインの仕事で独立。その後排ガス規制をきっかけに土木の現場に移り、解体工事のノウハウを学び、解体工事業登録や建設業許可を取得しフリーで起業。42歳で知り合いの紹介で解体業に就職し東日本大震災の宅地除染と解体工事に5年従事しその後有明興業に入社しました。
加藤
高校1年生の時、建築系のアルバイトをしていた頃、友人の兄からの紹介で空調整備の会社に就職。20歳で木造解体工事を請け負う会社に転職、そこで重機の資格を取得しオペレーターとして働いていました。32歳で鉄骨解体や杭工事なども請け負う会社へ転職、そこで資格取得支援を受け様々な資格を取得し、その後友人の紹介で入社し現在に至ります。

——当時の職場環境はどうでしたか?

高野
今では考えられませんがTシャツにニッカポッカ、安全靴も履かず足袋、ヘルメットも頭にひっかけてかぶっているのかかぶっていないのかって状態で働いてました。釘を踏んだ時は足をキュッと丸めて独自の踏み抜き防止の仕方をあみ出したりしていました。
加藤
基本的には見てればわかるだろというスタンスだったので、先輩の仕事を横で見て学び試行錯誤していました。どうしてもわからない事があれば気の合う先輩に聞いていました。常に危険と隣り合わせでしたね。
高野
どうしたら危険か身をもって体験していた感じですね。自分で安全を確保しないといけないので必死に知恵を振り絞っていました。

——一番印象に残っている出来事は何ですか?

高野
やはり東日本大震災ですね。震災があった1年後くらいから現地に行き、放射線管理手帳を作ったり現場に入る為の申請書類を提出したりと行政の許可が下りるまで半年待ちました。その間は被災地の周りを現調することしかできませんでした。被災地復興の為、宅地除染と解体工事を行いました。あの時の景色は忘れられません。
加藤
私も当時4号機原子炉建屋の解体工事に参加していました。線量は毎日計測し記録、放射線が高い場所は30分作業すると交代しすべての防護服を脱いで除染、原発の5km先からフル装備が必要なので夏場は特に厳しい環境でした。サマータイムも導入されてましたね。常に死と隣り合わせの緊張感のある現場です。

——今の工事部について

加藤
同世代同志、気軽に話ができてコミュニケーションが取りやすいんじゃないかなって印象です。いつもわちゃわちゃしてますね。
高野
そうですね。報連相がきちんとできているので助かります。日常的な他愛もない話も良くしますね。即戦力となる新しいメンバーも増えたので若手をしっかり育成し、今後自社施工もできればいいなと思います。
加藤
ぜひ現場を経験して学んでほしい!現場を理解しないと管理もできないですからね。協力業者との信頼関係も現場を分かっているかどうかで変わってきます。
高野
結局経験と知識の積み上げが大事ですね。わからないことがあれば何でも遠慮なく聞いてほしい!何がわからないのかわからないのが一番困るので…積極的に資格を取得してスキルアップしている社員もいますね。日々成長している姿に立派だなと感心させられます。

——有明興業都市開発でできることとは?

加藤
資格取得支援制度を利用して色んな資格にチャレンジできます。現場を経験することで着実に施工に関してのスキルアップができます。
高野
安全施工で完工させる達成感をぜひ味わってもらいたいです。安全に関する社内教育も徹底しています。協力業者と助け合い、ひとつの現場を解体し、そこに新しい建物ができる。すべての建築は解体から始まります。

——解体工事の魅力とは?

高野
最初はまったく興味がなかったけど、やってみたら重機に乗って壊してというのが性に合っていたのかな。経験は一生の宝になるので結果ありがたかったです。重機の運転に興味がある方は操作に必要なスキルを身につけることができるのでおすすめです。
加藤
建築される建物の構造が昔とは変わっているので、未来の解体は今までとは変わっていくんだろうなぁと思います。可能性は無限大ですね。

——今後新しく取り組んでいきたいことは?

加藤
解体工事も環境に配慮した産廃管理をしていかないといけない時代ですね。グループ会社で何か協力できることはないかなぁ…
高野
今後は社員を育成し一人一人がスキルアップすることで『管理もできるし施工もできる』信頼される組織を目指します!

——ありがとうございました♫